こんにちは!
最近、Webライティングをferretというサイトで
時々勉強しているのですが、
改めて「読み手を意識した記事を書く」ということを
考えさせられています。
ブログを4つも持っているのに、
今頃な話しですね〜〜〜(苦笑)
書くってなんだろう?
読み手を意識するってなんだろう?
読み手を意識して書くなんて
それって読み手の顔色を伺いながら
書いているんじゃないの?
などと、ちょっと葛藤したりもしたのですが。
これ書きたい!という欲求が一通り満たされて、
そんな殊勝なことを考える余裕も
出てきたってことでしょう。
私にとって書くとは
「これ聞いて!こんなことがあったの!」
「学んだことを自分の中に落とし込み、後日書き出した」
「出来事を自分なりに解釈して
、自分の意見や解釈を書き出した」
「こんな面白い記事みつけたよ!シェアだ!シェア〜!」
……と、だいたいこんなところ。
突き詰めてみると
「私の興味」について書いてあるわけです。
そして読み手がタイトルや記事の冒頭に
興味を持ってくれて
タララッタッタ〜♪
晴れて、記事が読んで頂けます。
嬉し恥ずかし、記事が読まれちゃうのです〜(笑)
運が良ければ、さらに他の記事にも興味を持ってくれて
もっと知りたいと思ってくれて
他の記事も読んでくれちゃったりするのです♪(感謝!)
私が思うに
書き手と読み手の共通分母は「興味・関心」。
読んで面白いとか、ためになるとか
怒りが湧くとか、うずうずするとか
そういう内から湧き上がる何かが
反応という分子になる。
共感だったり反感だったり
そういう分子が大きければ大きいほど
読み手にとって刺激される記事ってこと。
読みたくなる、薦めたくなる記事ってことですよね♪
だから関心や興味が引けないと
そもそも書き手と読み手は出会えない。
書くことでセルフカウンセリングしてるなら
特に読み手を意識する必要はないのです。
何でかっていうと、
根本的にそれは書き手=読み手だから。
自分に向けて書かれたモノだから、
自分の心を整理して客観的に見つめるという事だから
別な読み手を意識する必要はないと思います。
でも「書くこと=発信していく」となると話しは別で
読み手を意識するのは必要不可欠なのですよ、多分。
そこには何らかの相互作用が起こるから。
というか、書き手が相互作用を期待しているからなのです。
「お金を払って読んでくれる」
「炎上して多くの人の目に止まってもらう」
「シェアされて多くの人に知ってもらう」
「紹介する商品を買ってくれる」
そういう何かしらの反応を求めているのよ。
読み手を意識して書かなければ
これってとってもハードルが高いことです。
読み手を意識しつつ
一つの興味・関心を深く掘り下げていくか
多くの趣味・関心を幅広く提供していくか
書くということは、かくも悩ましい!
(シャレではなく……笑)
ただ言えることは
私なんぞは、記事を誰かが読んでくれて
「ぷっ」と笑ってくれたり、
「にやり」としてくれたり、
「なるほど」と考えてくれたり、
「私も!」と共感してくれたなら
私はその場にいなくても
小躍りして喜んでしまうのです♪
やった〜*\(^o^)/* と嬉しくなってしまうのです。
そこには「心が刺激された」という分子が
一つ積み重ね上げられということだから。
お互いに目が合って
一瞬、気持ちが通じたような
心地よさがソコにはあると思うのです。
でも私の持つ分母には限りがあります。
私は、私の持っていない分母を増やしてみたくて
友達とブログをやってみたくなりました。
私は私を中心とする世界にある分母しか持ってなくて
友達は友達を中心とした世界にある分母を持っていて。
あなたにもあなたを中心とした世界があって、
そこに数多くの興味関心という分母があって。
私の記事をあなたが読んでくれて、
何か小さな一つが湧き上がってきたら
私とあなたの共通の分母の上に1が積まれるのです。
それが多分、「出会い」というものだと思います。
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